米津先生の今月のことば

 

(米津千之先生の略歴紹介)

 

1912613日東京生まれ。1935年国学院倫理学科卒業、1938年同大学国文学科卒業。在学中より折口信夫に師事。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)教諭、東京第二師範学校助教授をへて1977年東京学芸大学教授を定年退職。

 

その後、東横学園女子短期大学教授、高崎短期大学教授等を歴任1989年に退職。

 

公益財団法人「天風会」講師。1989年より27年間ご自宅を毎月一回開放され「天風会 ねりま芋洗い塾」を一度も休まず継続開催し、天風哲学の普及にご尽力されました。

 

2014104102歳で帰天

 


 

「人は本来神と一体との精神を持つ」    

 

 

YG:先生は「何が日本の力なのか」「それは清祓いの習俗のこと」と書かれています(日本の道念)。本日はその事をテーマにお話をうかがいたいのです。

 

 

 

米津:アメリカの国力は何かと言えば経済力と武力ですが、そんなもの、すぐに吹っ飛んでしまいます。日本もついこの間まで経済力がありましたが、今はないでしょう。では日本の持てる力とは何かと言えば、一番の力はやっぱり禊祓いの習俗でしよう。清めればそこに神がいらしゃるのだから、清めが一番大事です。清めるという事にも、悪い事があるから清めるという事と、よい事を待ち設ける為に清める事と、二つあります。吉事祓(よごとはらい)、凶事祓(まがごとはらい)と言って、日本の祓いは根本的に吉事祓いなのです。結婚式の時に祓うのはそのカップルによい事がどんどん身につくようにと祓うのです。輝かしい爽やかな自己の霊性に目覚めようとするならば、いつも毎日の生活を省みながら、「ああ、そうだ。これも禊祓いの行をしているのだな」と真剣に思いを込め、一挙手一投足にも気なしに振る舞うことなく、

 

心身の浄化にいそしみたいものです。朝目が覚めれば、眠りの世界からこの世へ帰還した甦りに感謝。寝具にも感謝。食事の作法、また会合などでみんなで話し合い、思いを深く掘りさげる事も、みんなお浄めでありお祓いです。

 

 深呼吸、勉学、運動、労働、生活のすべては清祓いの精神を基にしていると思わねばなりません。

 

YG:日本にはそういった精神伝統がずっと伝わってきていると・・

 

米津:そう。僕は大学予科生の昭和七年、隠岐島に渡り古代神楽を見てきました。折口先生から「お前行って採訪して来なさい」といわれてね。向こうの神楽は、おかめやひょっとこなどが出てきて皆を笑わす東京の江戸神楽と全然違います。神楽は祈りであり、そしてひもろぎを立てて神降ろしをする。日本では神様を喜ばす事が大切なわけですから。「弊(ぬさ)立つるここも高天の原なれば集まり給え四方の神々」と申し上げ、お祓いをするのです。この隠岐の神楽を見て、「ああ、これが本来の御神楽だな」と思いました。

 

 日本の習俗の一番大事なところはお正月行事に集まっています。その前日の大晦日に国を挙げて大祓いをするわけです。大祓詞(おおはらえのことば)は太古以来宮廷が持っておられたもので、天子自らのお出ましによって成就されます。陛下ご自身が神主で、百官みんな集まり、大祓いを受ける。

 

 大祓詞では天津祝詞太祝詞事(あまつのりとのふとのりとごと)というところが大事なのです。

 

YG:いろいろな説があり、何か呪言と言いますか、祈りの言葉が入ると聞いています。

 

米津:ええ。昭和40年頃、宗教学の大先達、戸田義雄さんから小金井幼稚園の園歌の相談を受けました。「日本精神の

 

 こもった幼稚園の歌を作ってほしい」と。「それなら私が適任でしょう」と引き受けたのですが、日本精神と言えば大学生に教えるのだって難しい訳です。

 

 それを幼稚園の子供にわかるような歌にしなければならない。

 

YG:どのような歌詞になったのですか。

 

米津:「ふじがみえます むさしのの かぜかぜひかる ランラン(略) あさみどり すみわたりたるおおぞらの ひろいこころをもちましょう」「さしのぼる あさひのごとく さわやかに みんなげんきになりましょう」(と歌う)

 

 子供たちが後になって「この歌は明治天皇の御製からとったんだな」ってわかればいいのです。

 

 当時、僕は明治天皇の御製奉唱の練習を続けていて、御製に親しめば親しむほど、いつも心が明るく爽やかになりました。御製の奉唱は吉事祓をしている事になる訳で、古来からの日本の心はこの吉詞(よごと)、ことだまによる賛美によって養われてきたという事がわかってきたのです。「天津祝詞太祝詞事」の箇所に御製や教育勅語を挿入すれば、現代的な、誰にでも理解できる大祓詞になると思いますし、天津神、国津神も共々に御嘉納下さるものになる事間違えありません。

 

 日本が何を以って強さとしているかと言ったら、そのことです。「天子様が言われた事を、私達もそのまま奉じて実践しています」と言えば、天地の神も聞かざるを得ないでしょう。そうして神様と一体だという精神を、一人ひとりが持っていることが大事。それに気  

 

  づかなければだめだという事です。

 

  ないのに気づけというのは難しいけれど、皆それを祖先以来「心意伝承」として持って生まれてきたのですから。

 

  我々の仕事は、古典や風習を通してその事に気づいてもらう事です。

 

 YG:大切なことだと思います。

 

 米津:神様がどうしたら降りてくださ るかという事が一番大事なことでしょう。では自分自身、神様をどう降ろしたらいいかといったら、まず自分を清めることですよ。それから明るく朗らかに生きてゆくこと。「笑う門には福来る」という諺どおり、明るく朗らかに生き生きと勇ましく生活するところに神がおいで下さるのですから。 

 

 YG:神と一体となる上で清祓いがすごく大切であると・・

 

 米津:そんなに難しく言わなくてもいいのですよ。だって無心にならなければ、ものを(正しく)考えられない。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩を読むと「アラユルコトヲ ジブンカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」とあるでしょう。

 

つまり神様というのはそうなのです。いい絵を描く事もいい文章を書くことも、みんなそうです。ものを見るのだって、そうやって見るのですよ。

 

  損得ではなくてね。「世の波風の中にしておのずときまるひとすじの道」という言葉を僕は作りましたが、その時々におのずと決まる一筋のみちがあるのです。

 

(文責  石井  2019.2.2

 


 

「合う」 幸運のお守り

 

   私は美麗な布でくるんだ小さな貝の付け下げを持っている。その貝を求める時、店のおかみさんに「すみませんがこの貝だけに『幸運のお守り』という札がさがっているのですが、なぜですか」と尋ねたところ「貝ですから合うでしょう」 ただそれだけの返事だったが「わかりました」と早速私は買って帰り、今でも身から離さないでいる。

   

    私は、「合う」ということは、人生において一番大切なことだと思う。いつ、どこでも、誰とでもぴったり合うことが出来さえすれば、この世に幸運のめぐって来ないことはないと信じている。雨の降る日は傘をさす。寒い時には厚着をすれば天を恨むことはない。いい手紙なら相手と心が結ばれる。

   

    言葉遣い一つでも、ぴったり合った言葉が使えれば、ことばの達人である。みずが欲しい時「水をくれ」「水が飲みたい」と言っても人は水をくれない。「すみませんが、水をください」「誠にすみませんが、水を一杯いただけませんでしょうか」といえば、相手は「さあさあ、どうぞ」と水を差しだしてくれる。私の恩師中村天風先生は「誰にでも人生のチャンスは平等にある」と言われたが至言だと思う。

    人は自分の恵まれたチャンスにチャンネルを合わすことができるかできないかで幸・不幸の運命が決まるのである。私も「幸運の貝のお守り」にあやかり与えられた人生のチャンスを、その時々に逃がすことなく、晩年を飾りたいとものと思っている次第である。

 

(米津先生 御遺稿より) (文責  石井  2018.11.3

 


 

                「思い隈なく」人、皆平等に接する

 

 「思い隈なし」という言葉、これも大事な意味を含んでいるいい言葉です。

 誰でも平等に、月影がずーっと隈なくさすように、私も学生皆に「思い隈なく」講義し

 たいと常々心がけています。(省略)

 

社長さんなら、部下に対して、思い隈なく接したいものです。人間なら人間皆に、平等に

しなければいけない。

 

  私は学校の教師をずっと続けてきて、今でも続けています。60年近く、学校の教師を

 やっているわけです。貧乏したりいろいろありましたが、それでももし生まれ変わっても、

 また学校の教師になりたいと思います。何故かというと、思い隈なく誰でも平等にという

 ことは、一番人間として難しいことですから、なかなかそういうことを実現できている人

 はいません。そのことに挑戦できる教師という仕事は素晴らしい仕事だと思うからです。

 

 どんなに頭のいい先生でも、教え方がうまくても「あの先生、あの人ばっかり大事にして

 いる」なんていうのは、やはり先生として値打ちがないですね。

 

  親だってそういう人がいますよ、今は。五人子どもがあって、好きな子供と嫌いな子供を

 分けている親がいるんだから、とんでもないもんだ。先生なんか特にそうです。お医者さん

 だってそうでしょう。この人少し金持っていそうだなとかいって、ちょっと高い注射を謝(う)

 って儲けようかなんて・・・。そんなお医者さんだったら価値はゼロです。貧乏人はお断り

 なんて医者は困る。

 

 「思い隈なし」というのは、お医者さんにも通用するし、先生にも通用するし、商人にだって

 通用します。いい言葉です。そういう境涯をひとつ持っていただきたいと思います。

  

 (米津先生講演録より)  (文責  石井  2018.10.6

 


 

 「心のそなえと処すべきかまえ

 

 私たちは、毎日の暮らしをより楽しく安らかに律してゆく為に、必要かくべからざる「心のそなえ」と現実の生活に直面して、「どう処すべきかのかまえ」をば緊張とあそびのうちに身につけていかなければならない。それには芸術並びに諸芸能、スポーツ・登山・武道・相撲等々、また滝行・瞑想など時には難行苦行ともいわれる修行もあろうが、それよりは日常茶飯事のその時々の行為に誠をこめることが大切だと思うのである。即ち日々の清掃・食事をはじめとする家事百般、子女の躾にいたるまで、特に病魔や思わざる災害に際しても、慌てふためくことのないように、すべてが神のお試しだと思い、まずは状況の把握から、進んではその実相に迫り、適切な判断を下し、刹那に行動を起こさなければならない。

 

 ここに天風先生の生死観についての添田雅子さまがなされた先生のご法事の時の追悼のお話を紹介致させていただきます。

 

-あまつ風二十三号の記事よりー

 

 大きな交通事故で全員死亡でしたので「あの様に突然では無念でございましたでしょうね」と天風先生に申しあげましたところ少し威儀を直されて、「『本日ただ今死に奉る』と云って死ぬんだよ」とのお言葉でした。万言の意がこめられて居ります中に、ベンベンと未練を残さず目前の現実を素直に判断すること、突然の死に直面しても積極精神を貫くお心かまえ。その御修養の深さ、お心いきを強く胸にとめています。

 

 天風先生は、「百万人の付和雷同者よりただ一人の真のリアリストを求む」をよく申され、ひたすら心身統一の教義の実践により徳器を積み重ねるよう、しかもその実践の至難さを云われたものなのである。

 

  米津千之先生神の思いとひびきあう」遺稿より抜粋 (文責 石井)No.112018.5.5