米津先生の今月のことば

 

(米津千之先生の略歴紹介)

 

1912613日東京生まれ。1935年国学院倫理学科卒業、1938年同大学国文学科卒業。在学中より折口信夫に師事。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)教諭、東京第二師範学校助教授をへて1977年東京学芸大学教授を定年退職。

 

その後、東横学園女子短期大学教授、高崎短期大学教授等を歴任1989年に退職。

 

公益財団法人「天風会」講師。1989年より27年間ご自宅を毎月一回開放され「天風会 ねりま芋洗い塾」を一度も休まず継続開催し、天風哲学の普及にご尽力されました。

 

2014104102歳で帰天

 


 


 

「合う」 幸運のお守り

 

 

    

 

  私は美麗な布でくるんだ小さな貝の付け下げを持っている。その貝を求める時、店のおかみさんに「すみませんがこの貝だけに『幸運のお守り』という札がさがっているのですが、なぜですか」と尋ねたところ「貝ですから合うでしょう」 ただそれだけの返事だったが「わかりました」と早速私は買って帰り、今でも身から離さないでいる。

   

    私は、「合う」ということは、人生において一番大切なことだと思う。いつ、どこでも、誰とでもぴったり合うことが出来さえすれば、この世に幸運のめぐって来ないことはないと信じている。雨の降る日は傘をさす。寒い時には厚着をすれば天を恨むことはない。いい手紙なら相手と心が結ばれる。

   

    言葉遣い一つでも、ぴったり合った言葉が使えれば、ことばの達人である。みずが欲しい時「水をくれ」「水が飲みたい」と言っても人は水をくれない。「すみませんが、水をください」「誠にすみませんが、水を一杯いただけませんでしょうか」といえば、相手は「さあさあ、どうぞ」と水を差しだしてくれる。私の恩師中村天風先生は「誰にでも人生のチャンスは平等にある」と言われたが至言だと思う。

    人は自分の恵まれたチャンスにチャンネルを合わすことができるかできないかで幸・不幸の運命が決まるのである。私も「幸運の貝のお守り」にあやかり与えられた人生のチャンスを、その時々に逃がすことなく、晩年を飾りたいとものと思っている次第である。

 

(米津先生 御遺稿より) (文責  石井  2018.11.3

 


 

                「思い隈なく」人、皆平等に接する

   

 

 「思い隈なし」という言葉、これも大事な意味を含んでいるいい言葉です。

 誰でも平等に、月影がずーっと隈なくさすように、私も学生皆に「思い隈なく」講義し

 たいと常々心がけています。(省略)

 

社長さんなら、部下に対して、思い隈なく接したいものです。人間なら人間皆に、平等に

しなければいけない。

 

  私は学校の教師をずっと続けてきて、今でも続けています。60年近く、学校の教師を

 やっているわけです。貧乏したりいろいろありましたが、それでももし生まれ変わっても、

 また学校の教師になりたいと思います。何故かというと、思い隈なく誰でも平等にという

 ことは、一番人間として難しいことですから、なかなかそういうことを実現できている人

 はいません。そのことに挑戦できる教師という仕事は素晴らしい仕事だと思うからです。

 

 どんなに頭のいい先生でも、教え方がうまくても「あの先生、あの人ばっかり大事にして

 いる」なんていうのは、やはり先生として値打ちがないですね。

 

  親だってそういう人がいますよ、今は。五人子どもがあって、好きな子供と嫌いな子供を

 分けている親がいるんだから、とんでもないもんだ。先生なんか特にそうです。お医者さん

 だってそうでしょう。この人少し金持っていそうだなとかいって、ちょっと高い注射を謝(う)

 って儲けようかなんて・・・。そんなお医者さんだったら価値はゼロです。貧乏人はお断り

 なんて医者は困る。

 

 「思い隈なし」というのは、お医者さんにも通用するし、先生にも通用するし、商人にだって

 通用します。いい言葉です。そういう境涯をひとつ持っていただきたいと思います。

  

 (米津先生講演録より)  (文責  石井  2018.10.6

 


 

 「心のそなえと処すべきかまえ

 

 私たちは、毎日の暮らしをより楽しく安らかに律してゆく為に、必要かくべからざる「心のそなえ」と現実の生活に直面して、「どう処すべきかのかまえ」をば緊張とあそびのうちに身につけていかなければならない。それには芸術並びに諸芸能、スポーツ・登山・武道・相撲等々、また滝行・瞑想など時には難行苦行ともいわれる修行もあろうが、それよりは日常茶飯事のその時々の行為に誠をこめることが大切だと思うのである。即ち日々の清掃・食事をはじめとする家事百般、子女の躾にいたるまで、特に病魔や思わざる災害に際しても、慌てふためくことのないように、すべてが神のお試しだと思い、まずは状況の把握から、進んではその実相に迫り、適切な判断を下し、刹那に行動を起こさなければならない。

 

 ここに天風先生の生死観についての添田雅子さまがなされた先生のご法事の時の追悼のお話を紹介致させていただきます。

 

-あまつ風二十三号の記事よりー

 

 大きな交通事故で全員死亡でしたので「あの様に突然では無念でございましたでしょうね」と天風先生に申しあげましたところ少し威儀を直されて、「『本日ただ今死に奉る』と云って死ぬんだよ」とのお言葉でした。万言の意がこめられて居ります中に、ベンベンと未練を残さず目前の現実を素直に判断すること、突然の死に直面しても積極精神を貫くお心かまえ。その御修養の深さ、お心いきを強く胸にとめています。

 

 天風先生は、「百万人の付和雷同者よりただ一人の真のリアリストを求む」をよく申され、ひたすら心身統一の教義の実践により徳器を積み重ねるよう、しかもその実践の至難さを云われたものなのである。

 

  米津千之先生神の思いとひびきあう」遺稿より抜粋 (文責 石井)No.112018.5.5